開始日時 | 2022/05/25 10:08:17 | 終了日時 | 2022/05/25 11:23:25 |
水平距離 | 2.77km | 沿面距離 | 2.89km |
経過時間 | 1時間15分08秒 | 移動時間 | 0時間57分43秒 |
全体平均速度 | 2.31km/h | 移動平均速度 | 2.88km/h |
最高速度 | 6.54km/h | 昇降量合計 | 238m |
総上昇量 | 115m | 総下降量 | 123m |
最高高度 | 277m | 最低高度 | 186m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 10:08:17 | 0.00km | 194m | ||
00:57:43 | 2.89km | 2.9km/h | ↑115m ↓123m | -0.29% | |
GOAL | 11:23:25 | 2.89km | 186m |
【コース】
自転車で登美ヶ丘イオンに駐輪(100円-3時間無料) けいはんな線学研奈良登美ヶ丘駅から白庭台駅まで電車(270円)
白庭台 ⇒ 白庭台みはらし公園(ここから墳墓の道を探すもフェンスの扉閉鎖) ⇒ 山裾に沿って道を探しながら南方に歩く
⇒ 曲がりくねった坂を登っていると其れらしき道を発見 ⇒ 獣道様を北方に登って ⇒ 赤白鉄塔を目標に進む
⇒ 饒速日命墳墓 ⇒ 帰りはみはらし公園に向かって急な下り坂 ⇒ 閉鎖扉フェンスを乗り越える ⇒ 白庭台 (約3km 1時間15分)
2022/05/25 10:08:39
生駒のマンホール |
2022/05/25 10:23:13
赤白鉄塔の傍に目指す墳墓がある
GooleMapを眺めていて「白庭みはらし公園」の辺りから登っていけそうな感じがする
実際ここに来てみると フェンス(高さ2m)があって向こうに道が見えるが扉が施錠されて入れない(乗り越えることは簡単だけど)
とりあえず別のルートを探すことにして山裾を南に向かって歩く
2022/05/25 10:43:01
自信はないけれど道らしきものが見えるので
とりあえず囲いの間から入って行く
道に沿って登っていくと NETによくある「火の用心」とか「境界を示す赤い杭」の道に出た ホッ!!
奇麗に周辺が掃除されている お供えや献花も新しい
『饒速日命』
『記紀』はあくまでも天皇側の史観に基づく内容になっているため、饒速日については詳しく記されていない。 一方、物部氏側の史観に基づいて記された『先代旧事本紀(旧事紀)』では、饒速日尊・物部氏にまつわる神々について詳しく記されている。 そのほか、風土記や古史古伝、および神社伝承などにも独自の説話が残されている。 瓊瓊杵尊(神武天皇の曾祖父)が葦原中国へ降臨の前に、天照大神から「十種の神宝」「天羽々矢」を授かり大勢の伴をつれ天磐船に乗って 河内国の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移って大和地方を治めた。 那賀須泥毘古(長髄彦)の妹の三炊屋媛を妻とし、宇摩志麻遅命をもうけた。 宇摩志麻遅命は、物部連、穂積臣、采女臣の祖である。 神武東征において大和地方の豪族である長髄彦が奉じる神として饒速日が登場する。 長髄彦は「我らは天磐船で天より降りた天神の御子饒速日命に仕えてきた。あなたは天神を名乗り土地を取ろうとされているのか?」と問う、 神武は「天神の子は多い。あなたの君が天神の子であるならそれを証明してみよ」と返す。長髄彦は、饒速日命の天羽々矢と歩靫を見せる。 すると神武も同じものを見せた。長髄彦はそれでも戦いを止めなかった。 饒速日命は天神と人は違うのだと長髄彦を諌めたが、長髄彦の性格がひねくれたため殺し、神武天皇に帰順して忠誠を誓った。 天磐船を操船した者 ・船長:天津羽原(あまつはばら)、跡部首(あとべのおびと)らの祖 ・梶取:天津麻良(あまつまら)、阿刀造(あとのみやつこ)らの祖 ・船子:天津真浦(あまつまうら)、倭鍛師(やまとのかぬち)らの祖 ・船子:天津麻占(あまつまうら)、笠縫らの祖 ・船子:天津赤麻良(あまつあかまら)、曽曽笠縫(そそのかさぬい)らの祖 ・船子:天津赤星(あまつあかぼし)、為奈部(いなべ)らの祖 神名(邇芸速日には数多くの別名が存在してる) ・邇芸速日命(ニギハヤヒ):『古事記』 ・饒速日命(ニギハヤヒ):『日本書紀』『先代旧事本紀』など ・櫛玉饒速日命(クシタマニギヤハヒ):『日本書紀』 ・饒速日尊(ニギハヤヒ):『先代旧事本紀』 ・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアマノホアカリクシタマニギハヤヒ):『先代旧事本紀』 ・天照国照彦天火明尊(アマテルクニテルヒコアマノホアカリ):『先代旧事本紀』 ・天火明命(アメノホアカリ):『先代旧事本紀』 ・胆杵磯丹杵穂命(イキイソニキホ):『先代旧事本紀』 ・国照(クニテル):『秀真伝(ホツマツタヱ)』 ・火明(ホアケ):『上記(ウエツフミ)』 父母兄弟 ・父・天忍穂耳尊(アメノオシホミミ):『日本書紀』異伝、『先代旧事本紀』など → 『播磨国風土記』における「火明命」の父は大汝命(オオナムチ)とされる → 『日本書紀』本文における「火明命」の父はニニギとされる ・母・栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ):『日本書紀』異伝、『先代旧事本紀』など → 別名:ヨロヅハタトヨアキツシヒメ ・弟・邇邇藝命(ニニギ):『日本書紀』異伝、『先代旧事本紀』など 妻子 ・妃・天道日女命(アメミチヒメ):『先代旧事本紀』など → 大己貴命(大国主)の娘 ⇒ 元伊勢籠神社でも彦火明命の妃として紹介されている ・子・天香語山命(アメノカゴヤマ):(『先代旧事本紀』など) → 尾張氏の祖先であり、「神武東征」における高倉下(タカクラジ)に当たる ⇒ 神武天皇即位後に東日本を平定し、新潟県の彌彦神社に鎮座したとされる ・妃・御炊屋姫(ミカシキヤヒメ):『先代旧事本紀』など → 登美の首長・長髄彦(ナガスネヒコ)の妹 ⇒ 『古事記』では登美夜毘売(トミヤビメ)とされる ・子・宇摩志麻遅命(ウマシマジ):(『記紀』『先代旧事本紀』など) → 物部氏の祖先であり、可美真手命(ウマシマデ)、味間見命(ウマシマミ)とも ⇒ 神武天皇即位後に西日本を平定し、島根県の物部神社に鎮座したとされる ・妃・市杵嶋姫命(イチキシマヒメ):『籠神社伝承』 → 素戔嗚尊(スサノオ)の娘で宗像三女神の筆頭 ⇒ 彦火明命の妻とされる(一応、饒速日尊と彦火明命は同神としている) ・子・穂屋姫命(ホヤヒメ) → 天香語山命と結婚し、海部氏三代目・天村雲命(アメノムラクモ)を儲ける 饒速日尊が始祖となる後裔 ・物部氏:宇摩志麻遅命(ウマシマジ)を初代とする ・尾張氏:天香語山命(アメノカゴヤマ)を初代とする ・海部氏:彦火明命(ヒコホアカリ)を始祖とする |
北に向かって下山すれば「みはらし公園」の閉ざされたフェンスのところに出ると見込んで 急坂を樹に捕まりながら下る
10分足らずで すでに確認していた閉鎖扉のところに出た
疲れてガクガクの足をフェンスの網にかけてやっとこさ乗り越える
逆に ここから行くことも可能であったが かなりの急坂を登ることになるので 結果は良しであったかも
2022/05/25 11:23:21
【 これまでに饒速日命関係の地を訪ねたところ(My散策)から 】 ◎ 20210427-朱智神社 ◎ 20210503-添御県坐神社(三碓…長髄彦神墳墓伝承地) / 霊山寺 / 百楽荘 ◎ 20210621-神武天皇像 ◎ 20211203-神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑/饒速日命墳墓/長弓寺 ◎ 20220320-磐船神社 ◎ 20220328-楯原神社(神寶十種之宮) ◎ 20220330-登彌神社・矢田坐久志玉比古神社 |
【 過去に行っていた饒速日命関連地 】 ◎石上神宮 ◎石切劔箭神社 ◎橿原神宮 ◎伏見神宝神社 ◎大神神社 ◎三輪山平等寺 ◎ |