開始日時 | 2022/03/30 10:06:52 | 終了日時 | 2022/03/30 14:20:04 |
水平距離 | 11.20km | 沿面距離 | 12.03km |
経過時間 | 4時間13分12秒 | 移動時間 | 3時間06分07秒 |
全体平均速度 | 2.85km/h | 移動平均速度 | 3.73km/h |
最高速度 | 37.14km/h | 昇降量合計 | 806m |
総上昇量 | 400m | 総下降量 | 406m |
最高高度 | 151m | 最低高度 | 43m |
【コース】
近鉄九条駅 ⇒ 登彌神社 ⇒ 大和民俗公園 ⇒ 矢田坐久志玉比古神社 ⇒ 郡山城跡 ⇒ 近鉄郡山駅 (4時間20分/徒歩12㎞ 25,500歩)
2022/03/30 10:07:18
御由緒
皇紀四年春二月二十三日、神武天皇がこの地に於いて皇祖天神を祭祀されたのが、そもそもの淵源であり、その後、登美連が祖先である天孫饒速日命の住居地-白庭山-であったこの地に命ご夫妻を奉祀したのが、当神社の創建であります。
天皇陛下御即位五十年を記念して 昭和五十年乙卯十月八日 建之
2022/03/30 10:56:27
御祭神は、世の変遷に伴い多少は変動があったようですが現在は造化の神である高皇産霊神、神皇産霊神、八幡神である誉田別命、春日明神である天児屋根命と物部の祖登美饒速日命の五柱の大神達を東西の二本殿に奉斎し、左右の小宮には大日霊女命など十七柱の神達を合祀合せて二十二柱」の神々を奉斎しております。
2022/03/30 11:07:14
2022/03/30 11:20:14
神社境内でお参りしていた地元の話好きのおばあさんが、この神社のある地は古墳で遠くから見るとその姿が前方後円墳であることがよく分かると話してた。
地元ではそのことを誰も知らないとも。
ただ弥生時代の遺跡が多く出土しているみたいです。
城下町として歴史的風土を残す大和郡山市の矢田丘陵の東部に位置し、園内には有形・無形の民俗文化財を収集する民俗博物館があります。
県内各地の典型的な民家を園内に移築展示した特徴的な総合公園として、昭和50年度に都市計画決定を受けて整備を行い、 計画面積26.6ha中、平成17年度末現在、22.6haを開園しています。
2022/03/30 11:59:49
物部氏の祖先神饒速日命を祀る古社
延喜式内大社で、創建年代は不詳ですが、6世紀前半には畿内随一の名社として栄えていたと伝わっています。古くは「矢落大明神」または「矢田の大宮」と呼ばれました。
御祭神は、物部氏の祖先神であり、天磐船で空を駆けたとされる神「櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)」と、その妻・御炊屋姫命。
祭神である櫛玉饒速日命が天磐船に乗って空を飛んだという、先代旧事本紀に記されている故事により航空祖神として崇められ、毎年9月20日に航空祭が行われる。プロペラが奉納され楼門屋根裏から吊されている。
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門前には長い勧請縄が張ってある。毎年1月8日に催される「綱掛祭」の際に掲げられる。
大正天皇ご即位祈念に献ぜられたる青銅馬一体、先の太平洋戦争末期供出の命を受け、国のために奉ぜる。 長らく石趺のみ残れるを痛み、之を再現す。平成二年九月吉日
2022/03/30 12:19:26
饒速日命が天照大御神から「天羽々矢」を授かり降臨、自らの拠点(宮居)を定めるため3本放ちました。
そのうちの二之矢がこの神社の境内に落ちた。
一之矢が落ちたのが神社の500m南側、三之矢が落ちたのは500m北側の場所で、その射落ちた3箇所が伝承として残っていて、ともに石碑が建っている。
2022/03/30 12:32:08
織田信長の時代に、筒井順慶が築城。豊臣秀吉の時代に、豊臣秀長が百万石の居城とし、大幅に拡張された。江戸時代には郡山藩がおかれ、水野氏、松平氏、本多氏などの統治の後、柳澤氏が入り幕末まで続いた。
明治維新後、多くの建物は破却されたが、近年、追手門・櫓・天守台などが修復・整備され、城跡に一段と風格を添えている。「続日本100名城」(財団法人日本城郭協会)に認定されている。
城跡は桜の名所としても有名で、満開の桜のもとで開催される「大和郡山お城まつり」は多くの人々で賑わう。