開始日時 | 2021/05/03 09:04:34 | 終了日時 | 2021/05/03 11:52:46 |
水平距離 | 3.83km | 沿面距離 | 3.98km |
経過時間 | 2時間48分12秒 | 移動時間 | 1時間01分51秒 |
全体平均速度 | 1.42km/h | 移動平均速度 | 3.43km/h |
最高速度 | 12.80km/h | 昇降量合計 | 256m |
総上昇量 | 98m | 総下降量 | 158m |
最高高度 | 197m | 最低高度 | 116m |
【コース】
近鉄富雄駅 ⇒ (徒歩) ⇒ 添御県坐神社 ⇒ (徒歩) ⇒ 霊山寺バラ庭園 ⇒ 霊山寺境内
⇒ (バス) ⇒ 近鉄富雄駅 ⇒ 昼食(餃子の王将) ⇒ 百楽荘 ⇒ 近鉄富雄駅 (6㎞ 19,800歩)
2021/05/03 08:53:34
奈良朝時代、地域を治めていた小野福麿が、この場所で3つの窪み(カラス)のある「碓」を用いて穀物を搗かせていたところ、 聖武天皇がこれを見てこの地を「三碓」と名付けたと言われています。
傅説三碓村名起原
奈良朝時代権ノ頭事
小野福麿住居址
日用ノ飯米ヲ搗クニ碓三カラス
以テス會ク聖武帝馬侍ノ励
セラン里號ヲ三碓トナス
添御県坐神社は、奈良県奈良市三碓(みつがらす)三丁目にある神社である。式内大社論社。大和国に6つある御縣神社の1つである。
【祭神】・建速須佐ノ男命・武乳速之命・櫛稲田姫之命
【本殿】永徳3年(1383年)の建立。明治40年(1907年)重文指定
【歴史】創始年代は明らかではないが、添御縣の国魂神を添縣主(姓氏録・旧事本紀に津速魂命男武乳遺命の末裔)が祀っていたものであるとされる。また、当社鎮座地付近は古代豪族である小野氏が治める村里であったとされ、小野氏の氏神として祭祀されたものともされる。史料での初見は、天平2年(730年)の『大和国正税帳』で「添御県 神戸 稲152束8把、租20束、合172束8把」と記載されている。延喜式神名帳では大社に列しており、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。江戸期は牛頭天王社と称されていた。
【境内社】・福神宮(小野福麿公を祀る)・英霊殿・恵比須神社・天之香具山神社・竜王神社
福神宮
本殿すぐ北側にあり、奈良時代、この地域を治めていたとされる豪族の小野福麿公(小野妹子の玄孫)が祀られています。例祭は福麿公の命日の3月20日、この日地域の農民一揆に遭って殉死(天平10年)
「福神宮遷宮(移設)」
福神宮に祀られています小野福麿公御神威のよみがえりと、三碓の伝統や文化を後世に伝えて行く為に、境内への遷宮が行なわれます。
霊山寺(りょうせんじ)は、奈良県奈良市にある霊山寺真言宗の大本山の寺院。山号は登美山(とみさん)または鼻高山(びこうさん)、開山(創立者)は行基と菩提僊那、本尊は薬師如来である。
霊山寺の所在する富雄の里は、古事記には「登美」であり、日本書紀では「鳥見」の地となっています。
敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有でした。右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました。天武12年(684)4月5日より21日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は鼻高仙人と称され尊崇された。
天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました。
平安時代、弘法大師が来寺され、登美山に力の強い龍神様がおられると感得され、奥の院に大辯才天女尊(辯天さん)として祀られました。それまで当寺は法相宗でしたが、弘法大師が真言宗を伝えられ、以後は法相宗と真言宗の2宗兼学の寺となりました。
境内にある1200坪の薔薇庭園は先代住職の戦争体験から平和を願って、昭和32年に開園されました。
200種2000株の色とりどりの薔薇が心の安らぎを与えてくれます。
八体佛霊場 / 行基菩薩像
八体佛霊場の左傍にある行基菩薩像
近鉄奈良駅の噴水の上の行基菩薩像は、鍵田元奈良市長の依頼で、赤膚(あかはだ)焼の窯元「正人(まさんど)窯」七代目大塩正人さんが2年かけて作り上げて、同じ型で作ったものが霊山寺(奈良市)と九品寺(奈良県御所市)に設置した。
当初は「壊れた時のため」とスペアを2体作ってもらった。だが行基に心酔していた元市長は、せっかくの行基像を無駄にしたくないと考え、親交のあったゆかりの寺に寄贈した。元市長は当時、行基研究グループの会長でもあったという。
ただ近鉄奈良駅のものは実は3代目。初代、2代目ともに壊されたり、雨風に傷んだりする憂き目に遭って、現在のものは市内の彫刻家によるブロンズ製です。3体とも東大寺の方向を向いて建っています。
行基菩薩僊那歌碑 / 僊那供養塔
本堂(国宝) / 三重塔(重要文化財) / 薬師三尊像(重要文化財)
【本尊】薬師如来坐像(重文)。
両脇には日光・月光菩薩立像、いずれも重要文化財で一木造りの秘仏。(NETから拝借)
・南無大正不動明王
・行者堂
戻りは富雄駅までバス
昼食は
定番の餃子の王将
新型コロナ流行の折、1都3府県(東京・大阪・京都・兵庫)は緊急事態宣言発令中(4/25~5/11--感染が収まらない状況に急事態宣言を延長する方向で調整中--5日現在)で飲食店休業か、またはアルコール提供なしで時短営業のところが多い。奈良は発令がされていないので、アルコールの提供はOK?
昭和8年泉屋土地建物(株)の代表・泉岡宗助氏が約8万坪の土地を購入、数寄屋造りの一戸建てを地形に合わせて美しく点在させ雅趣味豊かな空間に仕上げました。設計はすべて泉岡氏自らが行い、建設当初は別荘として使用されたそうです。
昭和33年、合併により近鉄グループが「百楽荘」の土地・建物を承継しました。現在、敷地は約1万坪となりましたが、泉岡氏が設計した数寄屋造りの建物の大半を当時のまましようしております。(「物見巡り図」より)