案内板 伝王仁墓

『古事記』によると、和邇吉師(王仁博士)は応 神天皇の時(四世紀未~五世紀初頭)に乾鮮半島の 百済から渡来し『論語』一〇巻と『千字文』一巻を もたらしたとされる人物です。  この地には、かつて「おに(鬼)墓」と呼ばれた 自然石があり、歯痛やおこりに霊験あらたかであると 信じられていました。江戸時代の儒学者並河誠所は、 その自然石を「王仁がおにに訛ったもので本来は 王仁の墓である」として当地の領主に進言し、享保 一六年(1731)に「博士王仁之墓」の石碑が建 てられ、文政一〇年(1827)には「博士王仁墳」と 刻まれた顕彰碑が建てられました。 明治になると、王仁は日本に来て天皇に仕えた文 教の祖として顕彰されはじめ、墓域の整備拡張や神 社創建の運動も試みられました。昭和一三年(1938) には「伝王仁墓」として府の史跡に指定され ました。 現在は日韓交流の拠点の一つとして、多くの人が 訪れています。    平成二八年(2016)三月 枚方市教育委員会

参考になるサイト大阪府史跡「伝王仁墓」