開始日時 | 2023/10/23 10:45:21 | 終了日時 | 2023/10/23 13:04:00 |
水平距離 | 11.47km | 沿面距離 | 11.58km |
経過時間 | 2時間18分39秒 | 移動時間 | 1時間23分12秒 |
全体平均速度 | 5.01km/h | 移動平均速度 | 8.19km/h |
最高速度 | 29.69km/h | 昇降量合計 | 475m |
総上昇量 | 235m | 総下降量 | 240m |
最高高度 | 130m | 最低高度 | 74m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
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START | 10:45:21 | 0.00km | 112m | ||
01:23:12 | 11.58km | 8.2km/h | ↑235m ↓240m | -0.04% | |
GOAL | 13:04:00 | 11.58km | 106m |
【コース】
荒神塚池 ⇒ 大里公園 ⇒ 椎の木の道の歌碑 ⇒ アート壁画 ⇒ 土師山公園 ⇒ 大宮神社
2023/10/23 11:20:28
『古事記』 垂仁天皇はまたその皇后狭穂姫命の申し上げたままに、丹波の美知能宇斯王の娘たちの比婆須比賣命・弟比賣命・歌凝比賣命・圓野比賣命の四人をお召しになりました。 しかるに比婆須比賣命・弟比賣命のお二方はお留めになりましたが、妹のお二方は醜かつたので、故郷に返し送られました。そこで圓野比賣命が恥じて、 「同じ姉妹の中で顏が醜いによつて返されることは、近所に聞えても恥ずかしい」と言つて、山城の國の相樂に行きました時に木の枝に懸かつて死のうとなさいました。 そこで其處の名を懸木(さがりき)と言いましたのを今は相樂(さがらか)と言うのです。また弟國に行きました時に遂に峻しい淵に墮ちて死にました。 そこでその地の名を墮國と言いましたが、今では弟國(おとくに)と言うのです。 『日本書紀』巻六 垂仁天皇 即位15年春2月10日。 丹波の五人の娘を呼び寄せて、掖庭(皇后や皇子の世話をする宮女のいる場所)に入らせました。長女を日葉酢媛、次女を渟葉田瓊入媛、三女を眞砥野媛、 四女を薊瓊入媛、五女を竹野媛と言います。 秋8月1日。 日葉酢媛を皇后としました。皇后の妹の三人を妃としました。ただし、竹野媛だけは、醜かったので、故郷に返しました。 故郷に返されたことを恥ずかしいと思って、葛野で輿から自分で落ちて死んでしまいました。それでその土地を堕国といいます。今は弟国と訛っています。
2023/10/23 11:31:50
近鉄京都線沿いの道に五本の石柱にひらがなで刻まれた歌碑がある
『渋谷川沿い遊歩道の歌石柱』
「みわたせば やなぎさくらを こきまぜて みやこぞはるの にしきなりける」
古今集・巻1・春歌上・56 素性法師(そせいほうし)のお歌です。
「よのなかに たえてさくらの なかりせば はるのこころは のどけからまし」
古今和歌集53、伊勢物語の第82段「渚の院」、在原業平
「いずみかわ わたりせふかみ わがせこが たびゆきころも ぬれにけるかも」
万葉集13巻 3315 作者不詳
「さきほこる さくらもよけれ ちりそめて わかばいささか まじるさえよし」
狂歌 作者不詳
2023/10/23 12:21:21
京都府木津川市土師山公園前(エゴノキ1号歩道橋下) 壁画専門会社「MURALES」(ムラレスとはイタリア語で「壁画」)と、木津川高校美術部の生徒とワークショップコラボ。 変わらない人間の縁の力 日々変わりゆく風景の中に 変わらない思いが存在すること ものを作り出していく 人間の姿勢、気持ちを明るめの色彩で表現し 今この 町に居ることの縁、隣にいる人との縁、同じ街に住む 人たちとの縁、街の風景との縁、様々な縁を表現します そしてこの作品を見るたびに、自分の周囲の人との”繋がり”の思 い出せるような人の生きる支えになる けれども目に見 えない変わらない縁=つながりの力を表現します。
2023/10/23 12:25:35
2023/10/23 12:53:44
【 祭 神 】 崇道天皇(早良親王) 誉田別尊(第15代応神天皇・八幡神) 早良親王は、光仁天皇の皇子、母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。桓武天皇の皇太子に立てられたが、 藤原種継の暗殺に関与したとして廃太子され、絶食して没した。 崇道天皇と追諡されたが、皇位継承をしたことはないため、歴代天皇には数えられていない。
2023/10/23 13:02:38