開始日時 | 2023/02/12 09:35:00 | 終了日時 | 2023/02/12 12:09:26 |
水平距離 | 6.47km | 沿面距離 | 6.47km |
経過時間 | 2時間34分26秒 | 移動時間 | 2時間24分50秒 |
全体平均速度 | 2.52km/h | 移動平均速度 | 2.64km/h |
最高速度 | 8.24km/h | 昇降量合計 | 96m |
総上昇量 | 57m | 総下降量 | 39m |
最高高度 | 23m | 最低高度 | 2m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 09:35:00 | 0.00km | 2m | ||
02:24:50 | 6.47km | 2.6km/h | ↑57m ↓39m | 0.28% | |
GOAL | 12:09:26 | 6.47km | 20m |
【コース】
JR森ノ宮 ⇒ 大阪城 ⇒ 難波宮 ⇒ 空堀商店街 ⇒ 高津宮 ⇒ 生國魂神社 ⇒ 近鉄大阪上本町(約6.5km)
好天暖か 春日和 歩いていると汗ばむ 余力あれば天王寺までとの心積もり
生玉さんまで来たら足限界に近い 結局近鉄大阪上本町地下街でちょっと飲んで別れる
2023/02/12 09:35:43
JR西日本の大阪環状線と、Osaka Metroの中央線・長堀鶴見緑地線の合計2社3路線が乗り入れている。
秀吉の没後、幕府を開いた徳川家康(1543-1616)に攻め落とされ、現在の城構えは、17世紀前半に徳川幕府が再築したものである。
石垣を築く工事は、幕府の命により西日本各地の64の大名が分担して進められた。その証として石垣には各大名の紋章を彫り込んだ「刻印石」がのこる。石垣には、約100万個の花崗岩が使われている。これらの石は、近隣の六甲山、瀬戸内海の島々、そして、大阪から約420キロメートルも離れた九州の採石場から運ばれた。
1959年に行われた発掘調査で古い石垣が発見されたことにより、現在の城は、豊臣秀吉による最初の城を埋め立てた上に建てられたことが分かっている。1984年の再調査では、創建当初の石垣が、良い状態で発掘された。現在、この石垣の公開施設を建設する「豊臣石垣公開プロジェクト」が進行中だ。
案内板や標柱もなくこの祠は何?
「人類の進歩と調和」をテーマとした日本万国博覧会を記念して、毎日新聞社と松下電器産業株式会社が同じ内容のカプセル2個を完成し、大阪城本丸跡の地下15mに埋設しました。
日本や世界の人々の協力を得て選んだ20世紀の文化所産2098点が、最新の保存方法で特殊金属製容器に収納されています。
世界の平和と繁栄を信じて、5,000年後の人類にこれを残します。
上部のカプセルは毎世紀初頭に、下部のカプセルは6,970年に開封することを願います。
2023/02/12 10:16:32
昭和29年(1954)から開始された、山根徳太郎を中心とする発掘調査により、現在の史跡指定地にあることが明らかにされました。
史跡公園内には復元された後期難波宮の大極殿基壇や前期難波宮の八角形建物などが立体的に遺構表示されています。また、大阪歴史博物館の地下には前期難波宮の倉庫群の遺構が保存され、一般公開されています。
大坂冬の陣後に埋め立てられた大坂城南惣構(みなみそうがまえ)堀の遺構である空堀通の西半分、松屋町筋から上町筋に至る中央区側の東西約800 mのアーケード商店街。
1945年(昭和20年)の大阪大空襲では焼失を免れ、昔ながらの長屋などが残り、狭い路地が複雑にめぐっている。
難波高津宮に遷都した第16代天皇である仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇を左座に、后の葦姫皇后と長子の履中天皇を右座に祀る。
古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心として賑わっていた。境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけられており、落語の寄席や文楽などが行われている。
2023/02/12 11:50:09
大阪市中心部、難波宮跡や大坂城から南西方の生玉町に鎮座する。
かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して大坂本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に西成郡西高津村の現在地に遷座されている。
この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、国土の神霊とされる。