開始日時 | 2021/10/30 10:42:35 | 終了日時 | 2021/10/30 13:44:50 |
水平距離 | 23.42km | 沿面距離 | 23.53km |
経過時間 | 3時間02分15秒 | 移動時間 | 1時間48分18秒 |
全体平均速度 | 7.75km/h | 移動平均速度 | 12.88km/h |
最高速度 | 36.41km/h | 昇降量合計 | 432m |
総上昇量 | 216m | 総下降量 | 216m |
最高高度 | 109m | 最低高度 | 41m |
【コース】
一昨年まで、奈良公園や平城宮跡、西の京など10㎞以上を歩いてた。もう無理!
電動自転車で
奈良県道・京都府道72号生駒精華線 ⇒ 秋篠寺 ⇒ 西大寺 ⇒ 菅原天満宮 ⇒ 垂仁天皇 菅原伏見東陵 ⇒ 西方院 ⇒ 薬師寺 ⇒ 唐招提寺
⇒ 秋篠川沿い近鉄ならファ ⇒ 五社神古墳 ⇒ 津風呂町 ⇒ 奈良大学 (3時間 24km)
2021/10/30 11:10:42
2021/10/30 11:19:58
2021/10/30 11:26:18
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お気に入りの場所、ここに来るといつもの場所で休憩する。カラスがかならず寄ってくる。
いつもは亀や鯉も数十匹寄ってくるけれど、今日は数匹しか見かけない。鯉は現れない。池を大掃除したのかな。なんか淋しい
2021/10/30 12:21:41
2021/10/30 12:31:28
2021/10/30 12:40:59
津風呂町由緒
そもそも津風呂の地名は遠く萬葉集に見る 「津布呂」津振として古くより歌に詠まれた地で南北朝の頃 津風呂筑後守従五位上平朝臣光季入道覚佛によって治水産業を拓かれ 五十三戸 田地十六町歩畑地十一町歩山林二百町歩の自給自足の平和な村であった 然るに 昭和二十一年十津川紀之川綜合開発事業に依る津風呂ダム建設のためこの津風呂部落は水没し 裏面に銘記の二十戸がこの地に集団移住し第二の故郷津風呂町を創設し昭和三十五年四月二十八日 鎮守の春日の森から御神体を奉還し安楽山阿弥陀寺薬師寺を安置し我々は昭和三拾三年から移住を始め爾後汗と涙で町造の大事業に専念した 貢献された対策委員長阪口義雄氏建設委員長森中宇三郎氏開拓農協組合長乾俊一氏等を始め二十戸の家族の一致協力と加うるに土地の交渉工事の協力に専念された山陵町の中田宇之吉氏の功績も忘れることは出来ない 吉野の故郷津風呂湖に湛えられた三三〇〇万?の水は大和平野一万町歩の旱害を救うと共に工業用水等奈良県産業振興の為に幾久しく貢献されるであろうことを希うと共に第二の故郷津風呂町が永久に繁栄することを祈念するものである
昭和四拾五年四月二十九日
建設省 津風呂湖開拓農業協同組合
文献並書 津風呂町自治会長 片岡一雄
【津風呂ダム】
奈良県吉野郡吉野町大字河原屋地先、一級河川・紀の川水系津風呂川に建設されたダムである。
ダムは1954年(昭和29年)より建設が開始された。ダム建設に伴い72戸の住民が移転を余儀無くされたが、「吉野川分水」の必要性を十分すぎるほど理解していた住民は最終的には故郷を離れる苦渋の決断を行った。一部の住民は、平城村大字山陵(戦後の市町村合併により奈良市に編入され、現在の奈良市山陵町)にあった奈良競馬場跡地に移住し、同地に「津風呂町」地区を拓いた。1962年(昭和37年)にダムは完成し、奈良盆地に水を供給し始める。
【津風呂湖】
津風呂ダムによって出現した人造湖は津風呂湖と名付けられた。紀伊山地を除く奈良県内では初めての大きな湖沼である。
津風呂湖は海のない奈良県内で初めて湖上遊覧船が就航した湖でもある。毎年3月15日から11月末までの期間は遊覧船による湖上一周が可能であり、春の桜・新緑や秋の紅葉が美しい。1972年(昭和47年)には奈良県によって吉野川津風呂県立自然公園に指定され、湖を中心に周辺は観光地として整備されている。 (Wikipedia)