開始日時 | 2021/09/16 10:17:48 | 終了日時 | 2021/09/16 14:00:15 |
水平距離 | 14.12km | 沿面距離 | 14.23km |
経過時間 | 3時間42分27秒 | 移動時間 | 3時間07分31秒 |
全体平均速度 | 3.84km/h | 移動平均速度 | 4.48km/h |
最高速度 | 75.58km/h | 昇降量合計 | 164m |
総上昇量 | 81m | 総下降量 | 83m |
最高高度 | 79m | 最低高度 | 24m |
【コース】
木津川台二丁目 ⇒ 吐師地区 ⇒ 京奈和自転車道 ⇒ 木津門樋の休憩所 ⇒ 泉大橋 ⇒ 泉橋寺地蔵尊 ⇒ 茶問屋ストリート
⇒ 上狛環濠集落 ⇒ 国道24号線を北へ ⇒ 開橋
3時間30分(10時半~14時) 14km 20,200歩
2021/09/16 11:03:38
京奈和自転車道は京都市西京区嵐山から奈良県内を経て、和歌山県和歌山港までを結ぶ、全長約180kmのサイクリングルートであり、京都府、京都市、奈良県及び和歌山県が連携して整備を行っています。
京都府(約45km)
京都八幡木津自転車道線
奈良県(約75km)
大和青垣吉野川自転車道線
和歌山県(約60km)
紀の川自転車道
2021/09/16 11:13:43
サイクリストの休憩所
泉大橋は、京都府木津川市の国道24号兼国道163号線上にある木津川に架かる橋であり、日本百名橋に選ばれている。
かつて木津川は、泉河とも呼ばれていた。 今日の泉大橋は、1951年に架けられた長さ383.6mルのカンチレバー(ゲルバー)式トラス橋である。西側(下流側)には、歩行者・自転車用の橋(1974年に竣工)が隣接し、東側(上流側)ではJR奈良線の鉄道橋がのぞめる。橋の南詰には京都八幡木津自転車道の終点がある。
【歴史】
行基が740年(行基年譜)か741年(行基大菩薩行状記)に架けたのが始まりとされる。 恭仁京の建設時には3か所で橋が架けられたが、876年には橋が洪水で流され、明治時代の1877年まで橋を架けずに船で渡ったと推定される。 仮設の橋だったこともあり2度にわたり橋が流され、1893年京都府費によって初めて両岸をつなぐ橋が架けられた。1901年には現在の橋より長い594メートルの橋が架けられるが、1917年に流されてしまう。その後、ボウストリングトラス構造の橋を経て、現在ある橋が架けられた。
(Wikipediaより)
2021/09/16 11:45:55
奈良時代の高僧行基が、天平十二年(740年)に開いた泉橋院(発菩薩院(ほつぼさついん)、隆福尼院(りゅうふくにいん)を前身とする寺院で、行基創建四十九院の一つで、泉大橋を守護・管理するために建立された寺院です。
境内には国の重要文化財に指定されている五輪塔(鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 275Cm)があります
2021/09/16 11:46:41
泉橋寺表門に向かって左手にあり、山城大仏と俗称される丈六(約四・八五メートル)の石造。
現在は露仏。周りには堂の礎石が廻り、かっては礎石から見て本格的建築と推定される堂の中に安置。
永仁3年(1395)から石が切り出され、その13年後の徳治3年(1307)地蔵堂が上棟供養された。
願主は般若寺真円上人。文明3年(1471)大内政弘軍(応仁の乱)の木津・上狛攻めで地蔵堂も炎上。
地蔵石仏の全身はこの炎上で焼け爛れた。顔・両手は元禄3年(1690)の後補。
2021/09/16 11:50:00
浄土真宗本願寺派
2021/09/16 11:50:57
明治2年創業、京都府山城町の茶商から始まった宇治園
京都府の山城町と奈良県のほぼ境界にあり、笠置山から流れ来る木津川のほとり、京都宇治と、宇治田原・奈良田原という茶産地のほぼ中間に位置するところで、それぞれの産地から茶の見本を借りてきて、それを宇治の問屋にもって行き注文を受けて産地に戻る「トンビ」(仲買)という茶商を重村源兵衛が始めた。やがて源兵衛は長女・千代乃の婿養子に、同じ山城町の川辺家から又三郎を迎え入れ、その又三郎がトンビ業から問屋業に発展させる。
昭和45年(1970年)万博博・松下館で世界の人々に伝統ある日本の茶道を紹介する
ホームページ『宇治園 京都山城創業明治2年 - お茶と抹茶スイーツ」
2021/09/16 11:54:20
上狛は木津川水運を利用した交通の要所であり、その地の利から茶問屋が形成されてきました。幕末から明治・大正・昭和初期に建設された茶問屋の建物が現存でも40件ほど軒を連ね「茶問屋ストリート」とも呼ばれています。平成16年には山城茶業組合創立120周年を記念して山城茶業之碑が建てられました。
2021/09/16 12:00:38
府県庁所在地である京都市、奈良市、和歌山市を結ぶ延長約235.6 kmの一般国道の路線で、起点の京都市下京区の国道1号分岐(烏丸五条交差点)から南下して奈良盆地、和歌山平野に沿って西に向かい、和歌山県庁前の県庁前交差点に至る。
関西圏では国道171号や国道176号(三田市以南)とともに渋滞酷道と呼ばれるほど渋滞が慢性的である。この渋滞を解消すべく、バイパスの京奈和自動車道が建設されてきた。
通称「大里」と呼ばれ、長径600メートル、短径300メートルの周囲を掘りに囲まれ、山城国一揆の中心となった。
日本の環濠集落の中でも規模の大きいものの一つ。
2021/09/16 12:28:55
2021/09/16 12:46:13
ここで昼食予定していたが、コロナ感染対応で休業中
昭和二十二年頃までは開(ひらき)の渡しがあったが、その後、木橋(雨が降り川の水嵩が増加すると自然に橋は流れる、所謂流れ橋)が架けられた。
この橋は夏秋の増水期には流れ、復旧は 春まで待つことになる。
そのため渡しが復活されたこともあった。
またこの橋を時代劇映画の撮影でよく利用されていた。
昭和四十七年三月に現在の「開橋」が開通して国道二十四号による京都、奈良、和歌山、そして大阪へと、陸運の中間地点とし、生活に欠かせない橋となっている。