開始日時 | 2021/06/29 10:40:30 | 終了日時 | 2021/06/29 12:15:03 |
水平距離 | 11.22km | 沿面距離 | 11.29km |
経過時間 | 1時間34分33秒 | 移動時間 | 1時間02分37秒 |
全体平均速度 | 7.17km/h | 移動平均速度 | 10.68km/h |
最高速度 | 46.49km/h | 昇降量合計 | 322m |
総上昇量 | 159m | 総下降量 | 163m |
最高高度 | 117m | 最低高度 | 45m |
2021/06/29 10:48:54
2021/06/29 10:52:15
古墳は二段になっており、下段が方形、上段が円形となっている。極めて稀な形態であり、これまでに6例しか確認されていない。
最初にこの形式が確認されたのは奈良県と京都府の府県境に位置する古墳(1979年発掘調査)「石のカラト古墳」です。
上円下方墳は珍しく、このあと関東地方で5例が確認されている。
墳丘には全面に葺石がみられます。埋葬施設は凝灰岩の切石を用いた横口式石槨です。このような石槨墳は終末期古墳とよばれ、明日香村の高松塚古墳やキトラ古墳がよく知られています。
古墳時代終末期の8世紀初頭頃の築造で、発掘調査で金・銀製の玉、銀装の大刀の金具、金箔片などがみつかっています。
被葬者は天武天皇の第五王子「穂積親王」ではないかと言われた時期もありました。
近代では明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵がこの形式である。
天智陵(御廟野古墳)・舒明陵(段ノ塚古墳)を上円下方墳とみて、それに習ったものである。
ただしそれらの古代天皇陵は後には八角墳(上八角下方墳)と明らかになっている。
押熊瓦窯跡は、奈良時代に平城宮の宮殿の屋根瓦を製造する瓦窯跡の一つであり、 近隣の瓦窯跡(乾谷瓦窯、山陵瓦窯、音如ヶ谷瓦窯、歌姫瓦窯、市坂瓦窯、梅谷瓦窯など)と合わせ、「奈良山瓦窯群」として国の史跡に指定されている。