開始日時 | 2020/12/04 10:13:56 | 終了日時 | 2020/12/04 13:31:44 |
水平距離 | 26.57km | 沿面距離 | 26.65km |
経過時間 | 3時間17分48秒 | 移動時間 | 2時間19分32秒 |
全体平均速度 | 8.08km/h | 移動平均速度 | 11.36km/h |
最高速度 | 112.21km/h | 昇降量合計 | 385m |
総上昇量 | 202m | 総下降量 | 183m |
最高高度 | 119m | 最低高度 | 30m |
【コース】
菅井 ⇒ 木津川堤防 ⇒ 奈良街道 ⇒ 奈良坂町 ⇒ 東大寺境内 ⇒ 興福寺境内
⇒ 佐保川堤 ⇒ 平城宮跡 ⇒ 歌姫街道 ⇒ 木津川台 ⇒ 精華大通り (3時間20分 26.65Km)
2020/12/04 10:28:57
2020/12/04 10:59:31
真言律宗の寺院。山号は法性山。
本尊は文殊菩薩。コスモス寺の名で知られる。
像高188cm、蓮華座を含めると240cmという大きなお地蔵さまで
室町時代後期(1509年)に、興福寺の僧・浄胤が死後の冥福を祈って造立
「ならざかの いしのほとけの おとがひに こさめながるる はるはきにけり」会津八一
2020/12/04 11:09:51
平重衡の南都焼討(1180年)、三好・松永久秀の兵火(1567年)の2回の戦火に焼け残った貴重な建物で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構(国宝)
2020/12/04 11:46:01
創建当初の姿を再現した新・中金堂の建設と境内の整備が、創建1,300年となる2010年に着工し、2018年10月に落慶
2020/12/04 11:56:46
侘び茶の祖として知られる村田珠光が11歳のときに出家した。
現在の関西本線の前身で明治の5大私鉄の一つとうたわれた「関西鉄道」が名古屋方面から大阪への進出を目指し、「加茂駅」から現在の奈良駅北1.1kmの所に仮設的に作った「大仏駅」間を結ぶ8.8kmと、翌年に開通した奈良駅までの通称です。
「大仏駅」の開業は明治31年(1898)4月19日、「加茂駅~大仏駅」が開通し“赤いイギリス製の蒸気機関車が伊勢や名古屋方面からの大仏参拝客を乗せてにぎわった”と当時の新聞が報道してます。客車は「小さな部屋が十個ほどつながっているような感じで、一室に五人くらい。座席は板で隣の部屋には降りなければ移れない」加茂の人たちは汽車を「マッチ箱」と呼んでいたそうです。
この脚光を浴びた花形路線も急坂の黒髪山トンネル越えの難関では、イギリス製の新鋭機関車においても走行は困難を極め、「汽車の速度は遅く、機関車が二両ついているときはまだいいが、一両だと途中でとまってしまう。黒髪山の丘陵が登れなかったときは、客が降りて押したり、村の人たちが押しに行った」と伝えられています。
新たに木津駅経由の平坦路線が開通したため徐々に乗客が減少、1907年鉄道の国有化法により僅か9年間で廃止となりました。
現在、線路跡は残っていませんが、橋脚や隧道などが元路線沿いに100年前そのままの姿で残っており、人気のハイキングコースとなっています。
(幻の大仏鉄道パンフレット(大仏鉄道研究会)・加茂町史)より
(春になれば、枝垂れ桜が公園を覆うように開花)
2020/12/04 12:03:23
南門復原現場見学パンフレット
令和3年1月16日で見学を予約している。
町内を南北に貫く道は「歌姫街道」と一般に呼ばれ、その昔は奈良と京都を結ぶ重要な街道として、また平城京の朱雀大路へとつながる道としてその役割を果たしてきました。平城京建設時には資材の搬入が歌姫街道を通して行われ、また近江への遷都や壬申の乱などの際にも一行が歌姫街道を通過した歴史が残るなど、古代の人々にとっては記念碑的な道として、歌姫街道は多くの歴史を刻んできました。
町内には添御縣坐神社の他にも、その南西部に佐紀盾列古墳群の一部である「塩塚古墳」や奇怪な伝承が残るオセ山古墳などがあり、また目に見える遺構が現存する訳ではありませんが、町内一帯が奈良時代の天皇や貴族の饗宴に用いられたとされる「松林苑」の敷地にあたるとされるなど多くの歴史資源に恵まれた地域となっています。
(道路の真ん中に祀られる辻地蔵堂)
2020/12/04 12:59:18
境内には菅原道真/長屋王の歌碑があります。
「このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」菅原道真
「佐保過ぎて享楽の手向けに置く幣は 妹を目離れず相見しめとぞ」長屋王
2020/12/04 13:14:34
相楽神社は木津町大字相楽地区[ 北ノ庄、大里、曽根山の三区]の産土神として祀られてきました。
江戸時代までは八幡神社と呼んでいましたが、明治10年(1877年)、延喜式内社「相楽神社」となりました。
祭神は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后
本殿、末社5社、豊八稲荷社、拝殿、南北氏子詰所、社務所、客殿、四足門、鳥居等で構成されています。
1月の「豆焼き」、「粥占」、「御田」に続き、2月の餠花まつりは、竹串に数重の餠を刺した餠花が奉納されます。餠花の大きさは日本でも類をみないほど大きなものです。
2020/12/04 13:18:35
奈良時代(天平4(732)?宝亀10(779))の公卿。藤原式家の祖である藤原宇合ふじわらのうまかいの8男。母は久米連奈保麻呂の娘・久米若売くめのわかめ。称徳天皇の没後、藤原永手らと白壁王(光仁天皇)を擁立。宝亀2年参議、5年従三位となる。 山部親王(桓武天皇)の立太子にも尽力した。宝亀10年7月9日死去。48歳。淳和天皇の外祖父として正一位、太政大臣を追贈された。初名は雄田麻呂。
2020/12/04 13:26:54
高島町のメタセコイヤ並木にいずれ匹敵する精華町の観光スポット
11月中旬には見頃の紅葉となる。