20181113-筒城宮跡(同志社大学京田辺キャンパス内)

マーカーリスト

GPSログ解析

開始日時2018/11/13 10:02:36終了日時2018/11/13 14:23:40
水平距離16.31km沿面距離16.42km
経過時間4時間21分04秒移動時間3時間52分06秒
徒歩距離17.44km徒歩合計24,500歩
全体平均速度3.77km/h移動平均速度4.22km/h
最高高度80m最低高度20m

山手幹線-同志社大学京田辺キャンパス(筒城宮跡)-佐牙神社-鞍岡神社-稲植神社

写真レポート


2018/11/13 10:41:25

山手幹線(府道22号線)

山手幹線 山手幹線

山手幹線


山手幹線宮津・菱田工区が2018年3月17日に開通

関西文化学術研究都市や京都府南部のニュータウンをつなぐ都市計画道路「山手幹線」の宮津・菱田工区1.5km(京田辺市三山木-精華町下狛間)が3月17日開通し、府や地元の関係者ら約350人が開通式典や通り初めで祝った。

2010年度から京都府が工事を進め、2カ所の橋を含む事業費は約50億円。山手幹線は全16・4キロの計画で、同工区の完成により、八幡市の国道1号から精華町の精華大通りまで15・5キロがつながった。



2018/11/13 11:32:40

筒城宮跡

「筒城宮址の碑」は同志社大学京田辺キャンパス内にある。
1960年、遷都1450年を記念して、組織された「筒城宮跡顕彰会」により建立されたものである。
この辺り(興戸・多々羅・普賢寺など)は、第26代天皇、継体天皇の筒城宮があったとされる場所である。 『日本書紀』によると、継体天皇は樟葉宮にて即位した後、511年10月に皇居を筒城宮に遷し、7年間この地で過ごしたという。2011年は、筒城宮がおかれてから1500年を迎える。継体天皇は、応神天皇5世の孫で、近江国高嶋郷三尾野(滋賀県高島市)で誕生。幼少の頃に父が亡くなり、母の故郷である越前三国(福井県丸岡町高田高向へ移り住む。しかし、当時の武烈天皇に後継者がなかったため、507年、武烈天皇の姉、手白髪皇女を皇后として、樟葉宮(枚方市樟葉)にて58歳で即位。5年後の511年10月、皇居を筒城宮に遷し、7年間この地で過ごした。その後、弟国宮(乙訓)へ移り、その後ようやく大和に入った。晩年、九州で磐井の乱(527年)があり平定に苦心したが、後継を安閑天皇に禅譲し、531年、その即位と同時に崩御した。
【継体天皇の都の変遷】
・507年 樟葉宮(大阪府)
・511年 筒城宮(京都府)
・518年 弟国宮(京都府)
・526年 磐余玉穂宮(奈良県)

第16代仁徳天皇皇后「磐之媛」は、大変な嫉妬深い人で夫の浮気を許せず、別居してこの地に住んだ。
磐之媛は葛城山系の東麓、大和側に勢力を誇っていた葛城氏の娘で、四王子を生み、うち三人(履中、反正、允恭)が天皇になった。
磐之媛の、御陵は、奈良市佐紀町の佐紀ヒシアゲ古墳である。

筒城宮跡 筒城宮跡

筒城宮跡 筒城宮跡

継体天皇皇居故跡

携帯天皇皇居故跡 携帯天皇皇居故跡

不動明王古蹟

筒城宮跡 筒城宮跡

2018/11/13 11:35:00



2018/11/13 12:44:57

インドカレー店

店を覗いたらインド人のコックがいた。本格的なカレーを一度食べたいと思ってた。

インドカレー店 インドカレー店

2018/11/13 12:46:31

佐牙神社

祭神--佐牙彌豆男神・佐牙彌豆女神
敏逮天皇2年勅して酒部連友三と云人に命じて、佐賀彌豆男神・佐賀彌豆女神を咋岡ノ山本に鎭座し、後に宮津小字江津に移建された。
天正13年(1585年)に再建された左右両殿からなる本殿は重要文化財に指定されており、柏の葉やフクロウの彫刻が優美に施されている。

佐牙神社 佐牙神社

佐牙神社拝殿 佐牙神社拝殿

ガソリンスタンド

2018/11/13 13:23:28

ガソリンスタンド

時々給油しているところ。今日の価格は 410円/L安い。他のGSでは510円以上している。



2018/11/13 13:36:16

鞍岡神社

【祭神】
 菅原道眞
【歴史】
寛弘5年(1008)、京都北野社から勧請し創立されたといわれる。明和5年(1768)焼失、安永2年(1773)に再建されたことをいう棟札がある。さらに、神宮寺として神宮寺と宝光寺と明王院の3つがあったといい、「文政4年明王院」(1821)という箱書のある「鞍阜山」の一行書(掛幅)がある。明治16年に社名を「天満宮」から「鞍岡神社」に改称された。

鞍岡神社 鞍岡神社

精華町役場庁舎

2018/11/13 14:04:56

精華町役場庁舎



2018/11/13 14:11:40

稲植神社

【主祭神】 建速須佐之男命
【歴史】
長禄年間(1457 - 60)に、春日大社から勧請したといわれている。元祇園とも呼ばれ、明治以前は、神仏習合の神社であり、神宮寺として東福寺があった。
稲植神社は、南稲八妻・植田両地区を氏子として建立された神社で、御祭神は建速須佐之男命です。
口伝承によると、元祇園(京都八坂神社の元)といわれるほど、古い歴史を持っています。
最初は、牛頭天王社として祀られ、のちに祇園社として祀られたという記録も残っており、記紀神話のなかでは特別に豊かな性格づけがなされています。
源平の戦いや応仁の乱などで焼失し、一時期衰微していましたが、再建され、両地区の氏神として祀られています。
末社として、八幡宮、天満宮、熊野宮、八王子社、四ノ宮があります。
また、江戸時代に作られたヒノキ製の鼻高面、文化8年(1811年)の箱書のある輿などがある。

稲植神社 稲植神社

稲植神社 稲植神社

稲植神社祓戸

稲植神社祓戸 稲植神社祓戸