20181024-古事記の痕跡を訪ねて(6)

マーカーリスト

GPSログ解析

開始日時2018/10/24 10:21:15終了日時2018/10/24 14:57:02
水平距離12.25km沿面距離12.43km
経過時間4時間35分47秒移動時間3時間28分09秒
徒歩距離15.66km徒歩合計24,500歩
全体平均速度2.70km/h移動平均速度3.51km/h
最高高度102m最低高度46m
10月24日(木)せいか健康づくりプロジェクト「いきいき健康ウォーク」に参加。老男女41人。
近鉄橿原神宮前駅10:30~久米寺~新沢千塚古墳群~新沢千塚ふれあいの里(ここで昼食)・・・
この後、橿原神宮-神武天皇陵-今井町へと予定のところ、
我儘言って、ここで別れてひとり別行動で、 近くにあるいくつかの天皇陵を廻る。

  ※ 古事記に関連ある場所では、その記載箇所を現代語訳で表示。
  (あおぞら文庫より武田祐吉訳を拝借して一部変更。又、竹田恒泰著:現代語古事記を参考)

写真レポート


近鉄橿原新宮駅前

2018/10/24 10:24:50

近鉄橿原新宮駅前



2018/10/24 10:48:33

霊禅山東塔院久米寺

推古天皇2年の時に聖徳太子の弟だった来目皇子の創建と伝えらる古寺です。
来目皇子が幼少の頃眼病を患い両目を失明しましたが、薬師如来に祈願したところ平癒したと言われています。
創建のきっかけは、推古天皇の眼病全快のお礼だったと言われ、本尊の薬師如来は、眼病に効くと言われました。
毎年開かれる5月3日の久米寺練供養の会式では、二十五菩薩が練り歩く様子がみられます。
境内には仁和寺から移建された多宝塔や本尊の薬師如来坐像、久米仙人像などがあります。

久米寺 久米寺多宝塔

久米仙人像

久米仙人像

(久米仙人伝説)
久米仙人は、欽明天皇の御代、金剛山麓葛城の里に生まれた。吉野山麓龍門ヶ獄で神通飛行術を取得し空を自由に飛べた。
その後、百数十年もの間、久米寺に住んでいた。聖武天皇が東大寺大仏殿を建立する際、勅命を受けた久米仙人は神変不思議の仙術を使い、国々にある大木大石の数々を三日三夜の内に大仏殿境内まで飛ばして集めて見せました。その甲斐あって大仏殿の建立は速やかに完成した。
神通力を得て空中を飛びまわっていた仙人は、ある日、川で美しい女性が洗濯しているところに遭遇し、その女性のふくらはぎに目がくらみ神通力を失い墜落したという話も残っています。



2018/10/24 11:41:10

新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)【国指定史跡】

新沢千塚古墳群は、総数約600基からなる古墳群で、日本を代表する群集墳でもあります。古墳群は、市南側で高市郡高取町との境界となっている貝吹山から四方に派生する尾根のうち、北西方向に伸びる低い丘陵上に立地しています。 ここに古墳が造られ始めたのは4世紀の終わり頃からです。市立新沢小学校の南に位置する500号墳や、県道の南側に位置する213号墳が初期に造られた古墳であることが確認されています。その後、6世紀の終わり頃までの約200年にわたって古墳が造られ続けました。そのうち最も多く古墳が造られた時期は、5世紀後半から6世紀前半にかけての100年間です。 1960年代、新沢千塚一帯の開墾計画をきっかけとして、古墳群全体の約2割にあたる約130基の古墳の発掘調査が行われました。遠くペルシャや中国、朝鮮半島からもたらされた副葬品が出土した126号墳の調査はその代表的なものです。 調査の成果をうけて、新沢千塚は1976年(昭和51)に国の史跡に指定されました。現在は保存整備が行なわれ、古墳群の中を散策することができるようになっています。

新沢千塚ふれあいの里

← 新沢千塚ふれあいの里



2018/10/24 12:55:17

第28代宣化天皇陵

事績・人柄
先の安閑天皇が崩御したとき、その子供がなかったために同母弟の宣化天皇が満69歳にして即位した。
筑紫の官家の整備を行い、大伴金村に命じて新羅に攻められている任那に援軍を送った。
即位元年(536年)に蘇我稲目が大臣となり、子の蘇我馬子以降続く蘇我氏の全盛の礎が築かれることとなる。
高齢で即位と、在位が3年余りと短いため、あまり主立った事績は無い。
宣化天皇の血筋は石姫皇女を通して現在まで受け継がれることとなる。
人柄は清らかで、君子らしい顔立ちをしていたと言われている。

陵・霊廟
宣化天皇・橘仲皇女(奈良県橿原市)
陵は、奈良県橿原市鳥屋町にある身狹桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)。
皇后橘仲皇女との合葬陵で、遺跡名は「鳥屋ミサンザイ古墳」で、墳丘長138メートルの前方後円墳である。
『古事記』には記載ない。『日本書紀』『延喜式』には「身狭桃花鳥坂上陵」とある。
また皇居では、皇霊殿において歴代天皇・皇族とともに宣化天皇の霊が祀られている。

第28代宣化天皇 宣化天皇陵 古事記より

2018/10/24 13:41:12

第3代安寧天皇陵

第3代安寧天皇 安寧天皇陵 古事記より

2018/10/24 13:48:43

第4代懿徳天皇陵

第4代懿徳天皇 懿徳天皇陵 古事記より

系図

橿原神宮

2018/10/24 13:53:27

橿原神宮

概要  (ウキペディアより)
記紀において初代天皇とされている神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。
1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。今上天皇・皇后は神武天皇崩御2600年の式典(2016年)に親拝し、2018年には銅鏡を神宮へ贈った。



2018/10/24 13:58:36

神宮境内の永山稲荷社と深田池

永山稲荷社 深田池

拝殿

2018/10/24 14:02:53

外拝殿

本殿は 1855年(安政2年)建立の京都御所賢所(内侍所)を創建に際して移建したもの。重要文化財。



2018/10/24 14:19:23

初代神武天皇

初代神武天皇 神武天皇東征経路

神武天皇陵

神武天皇陵 神武天皇陵 古事記より

2018/10/24 14:35:39

第2代綏靖天皇陵

事績・陵
神武天皇が76年3月11日に崩御した際、朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命は、皇位に就くため弟の神八井耳命・神渟名川耳尊を害そうとした(手研耳の反逆)。
己卯年11月、この陰謀を知った神八井耳・神渟名川耳兄弟は、神武天皇の山陵を築造し終えると、弓部稚彦に弓を、倭鍛部の天津真浦に鏃を、矢部に箭を作らせた。
そして片丘(奈良県北葛城郡王寺町・香芝町・上牧町付近か)の大室に臥せっていた手研耳を襲い、これを討った。
この際、神八井耳は手足が震えて矢を射ることができず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。
神八井耳はこの失態を深く恥じたため、神渟名川耳が皇位に就き、神八井耳は天皇を助けて神祇を掌ることとなった。
即位後の事績は『日本書紀』・『古事記』とも無く、欠史八代の1人に数えられる。

第2代綏靖天皇 綏靖天皇陵 古事記より

近鉄八木西口駅

2018/10/24 14:56:40

近鉄八木西口駅