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垂仁天皇陵の周濠内小島(田道間守と橘の木)
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『日本書紀』垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年2月1日に田道間守は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわち橘を求めに不老不死の常世国(中国南部からインド方面に)に派遣された。
9年後、やっと手に入れた橘の八矛八縵(やほこやかげ)を持ち帰ったが、すでに垂仁天皇は崩御され、嘆き悲しんだ田道間守は墓前で自害したという。
その後、景行天皇が田道間守の忠を哀しんで、垂仁天皇陵近くに葬ったとされている。
←(2017/8/30撮影)
亀にお菓子を投げていたら、カラスが強請って寄ってくる。
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