20150422-平城宮から興福寺へ

マーカーリスト

平城宮から興福寺へ

平城宮に駐車~気になっていた「芝辻プラス町」へ~JR奈良駅観光案内所~裏通りを通って興福寺へ~やすらぎ通り「率川神社(いさがわじんじゃ)」(6/16 ささゆり奉献神事斎行)~興福寺・猿沢池で休憩~なら100年会館~奈良市役所で休憩~平城宮
  家出発(10:15)帰宅(15:30) 12㎞ 16,500歩

写真レポート


東院庭園

2015/04/22 10:35:22

東院庭園

東院庭園から若草山を望む

(奈良を散策する時はここの駐車場をよく利用する)



2015/04/22 11:14:51

側溝に「芝辻プラス町」の石柱

芝辻プラス町の石柱 芝辻プラス町の石柱 芝辻プラス町の石柱 芝辻プラス町の石柱

「芝辻プラス町」名前の由来

戦前は、奈良の田畑や山野を市街地として開発していた。
その中で、まだ田んぼだった芝辻町の一角を宅地として10人でお金を出し合って共同購入した人たちがいた。
大正期から昭和10年代前半と言えば、今につながる文化が花開いた時期。10人の共同購入者の方々もご多分に漏れず「ハイカラ」で、新しい町に英語で名前を付けようか、となったらしい。
「ハイカラが10人。漢数字の『十』は、英語では『プラス』やないか」
「そしたら、芝辻のハイカラ10人の町で『芝辻プラス町』はどうや」
というような会話があったようで、こうしてこの珍しい町名が決定されたとの由。

「難読地名・珍地名…奈良市」より無断転載してます。(もし問題があれば、連絡ください)


石柱の側面に(皇)紀元二千六百十年とある。昭和25年とは、意外と建立は新しい。[クリック]

『芝辻プラス町』は大仏鉄道の終着駅の周辺にあたりる。いまはこの町名は「芝辻町11丁目」に変わっているらしい。

  後日(2015/5/30)、再び芝辻プラス町へ
  【芝辻プラス町住宅案内図】や【芝辻プラスの町名が残る消火器BOX】がその名残を残している。
  また、近くで『芝辻中町』の仁丹町名表示板を発見。

芝辻プラス町住宅案内図 芝辻プラスの町名が残る消火器BOX 芝辻の仁丹町名板


仁丹町名表示板

2015/04/22 12:13:02

珍しい!仁丹町名表示板

森下仁丹100周年史では、「1910年から大阪、東京、京都、名古屋など全国津々浦々に」設置したとされる。
東京には、9万440枚を設置したという記録が発見されたが、現在は空襲や開発で失われて残っていないらしい。
京都では、約720枚確認されている

京都仁丹樂會
 京都の仁丹町名表示板をこよなく愛し、研究する人たちの集まりです。



興福寺五重塔

2015/04/22 12:28:33

興福寺五重塔

この時期で、まだ満開の桜が残っている。八重桜だから



北円堂

2015/04/22 12:31:32

北円堂

ところが 一重桜も満開



興福寺三重塔

2015/04/22 12:33:36

三重塔

さすがに枝垂れは散っていた。



猿沢の池

2015/04/22 12:38:36

猿沢の池



五重塔

2015/04/22 12:52:34

五重塔



南円堂

2015/04/22 12:53:06

南円堂



なら100年会館はなみずき

2015/04/22 13:27:41

なら100年会館はなみずき

「はなみずき」はこれからが見ごろの季節になる。