2013年10月10日 山の辺の道(桜井~大神神社~箸墓~巻向)

マーカーリスト

 2013年10月10日 山の辺の道
   近鉄桜井駅~仏教伝来之地碑~海柘榴市観音堂~金谷の石仏~平等寺~大神神社・展望台・狭井神社
     ~玄賓庵~桧原神社~箸墓古墳~JR巻向駅 (約8.0㎞=約2万1500歩)

写真レポート


近鉄桜井駅

2013/10/10 09:36:13

近鉄桜井駅



仏教伝来の地

説明書き

2013/10/10 10:32:26

仏教伝来之地碑

 ここ泊瀬川畔一帯は、磯城瑞籬宮、磯城嶋金刺宮を
はじめ最古の交易の市・海柘榴市などの史跡を残し、
「しきしまの大和」と呼ばれる古代大和朝廷の中心地
でもありました。

 そしてこの付近は、難波津から大和川を遡行してき
た舟運の終着地で、大和朝廷と交渉を持つ国々の使節
が発着する都の外港として重要な役割を果たしてきま
した。

 「欽明天皇の十三年冬十月、百済の聖明王は西部姫
氏達率怒利斯致契等を遣して釋迦仏金銅像一躯、幡蓋
若干、経論若干巻を献る」と日本書紀に記された仏教
伝来の百済の使節もこの港に上陸し、すぐ南方の磯城
嶋金刺宮に向かったとされています。

 この場所は、仏教が初めて日本に送られてきた記念
すべき地であります。

 また「推古天皇十六年、遣隋使小野妹子が隋使裴世
清を伴って帰国し飛鳥の京に入るとき、飾り馬七十五
頭を遣して海柘榴市の路上で阿倍比羅夫に迎えさせた」
と記されているのもこの地でありました。

 私たちはこの地の歴史的由緒と、優れた日本文化を
生み出す源流となった仏教伝来の文化史的意義を、広
く永く後世にとどめるため、ここに顕彰碑を建立しま
した。


   平成九年七月吉日
          日本文化の源流桜井を展く会


奈良歴史漫歩No.061 海石榴市


海柘榴市観音堂

2013/10/10 10:48:14

海柘榴市観音堂(つばいちかんのんどう)

   海石榴市は、古代から栄えた交易市です。
   大陸の使節も大和川の舟運を利用して、この地まで遡りました。
   この市は歌垣で有名です。
   人々は歌を通じて愛を交歓したのです。
     紫草は灰さすものぞ海石榴市の八十のちまたにあへる子や誰
                  巻十二:三一〇一
     たらちねの母がよぶ名を申さめど道ゆく人を誰と知りてか
                  巻十二:三一〇二
   王朝以来、ここはまた長谷寺詣での宿場として栄え、「枕草子」
   「源氏物語」「かげろう日記」などにも登場します。
   古くからあった観音堂が老朽したので、近時建てかえられました。
     海石榴市の野路に飛び交ふ虫や何
               佐藤春夫


金谷の石仏 説明書き

2013/10/10 11:10:12

金谷の石仏



山の辺の道-道標

2013/10/10 11:15:32

山の辺の道-道標



三輪山平等寺赤門

2013/10/10 11:19:43

三輪山平等寺赤門



平等寺本堂

2013/10/10 11:21:30

平等寺本堂

三輪山平等寺は、その開基を聖徳太子と伝え、永遠の平和を祈願する霊場として創建されました。鎌倉時代の初期、中興の祖、慶円上人(三輪上人1140~1223)を迎えるに及び、東西500m、南北330mの境内に、本堂、護摩堂、御影堂、一切経堂、開山堂、赤門、鐘楼堂のほか、12坊舎の大伽藍を有し三輪社奥の院として、由緒ある名刹でありました。

平等寺 - Wikipedia



大神神社拝殿

2013/10/10 12:00:06

大神神社拝殿(おおみわじんじゃはいでん)

大神神社は日本で最古の神社の1つとされ本殿をもたず拝殿から、国のまほろばと称えられる大和の東南に位置する円錐形の秀麗な山、三輪山そのものを御神体として仰ぎ見る古神道の形態を残してるおり、主祭神は大物主神を祀る。

大神神社 - Wikipedia



巳の神杉

2013/10/10 12:03:49

巳の神杉

江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉にお詣りをしました。いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられるようになり、巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています。
蛇は、古来より三輪の神の化身として意識されており、『日本書紀』の崇神天皇10年9月条に、「小蛇(こおろち)」と記され、『同紀』雄略天皇7年7月条には、三輪山に登って捉えて来たのが「大蛇(おろち)」であったと伝えています。いずれも、三輪の神がその原初的形態として、蛇神であると信じられていたことを示していると考えられます。
これは、古代の人たちが、三輪山は千古鉞(おの)を入れず鬱蒼たる森林として、何がひそんでいるかわからない不気味さを覚え、そのお山から流れ出る水により、種々の農作物を作り、日々の暮らしをたて、山に立ち昇る霧や雲に神意を感得して、山内に棲む蛇を直感したものであったのでしょう。
三輪の神の原初の形とされる蛇は、水神であり、雷神ともなり、農業神、五穀豊穣の神となり、やがては国の成立とともに、国家神的な神に至ったと考えることができます。


狭井神社 薬井戸

2013/10/10 13:03:24

狭井神社 薬井戸

「ご神水」と呼ばれ万病に効くと言われる薬水が湧き出る井戸。



玄賓庵蜜寺

2013/10/10 13:57:43

玄賓庵蜜寺

桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山の麓に隠棲したという玄賓(げんぴん)僧都の庵と伝えられる。世阿弥の作と伝える謡曲「三輪」の舞台として知られる。かつては山岳仏教の寺として三輪山の檜原谷にあったが、明治初年の神仏分離により現在地に移された。(Wikipediaより)



山邊道 石柱

2013/10/10 14:03:31

山邊道 石柱



大神神社摂社 桧原神社 大神神社摂社 桧原神社

2013/10/10 14:09:45

大神神社摂社 桧原神社

檜原台地の奥に正面して鎮座。祭神は天照大神の若御魂の神、伊弉諾尊・伊弉册尊。
本殿および拝殿もなく、三輪山を神体山とし、昭和四十年十月に復元の三ツ鳥居が玉垣内にある。
三ツ鳥居の前に左右一対の石燈籠があり、向かって向かって左は「檜原社岩田村箸中村」(四角方柱)、 向かって右は「檜原郷社/元禄九丙子年四月吉日/喜多新八郎敬白」(四角円柱)と刻む。
社地一体は笠縫の邑(元伊勢)の最有力候補地で、古歌に詠まれた三輪の檜原の地でもある。

檜原神社



太市墓(箸墓古墳)

2013/10/10 15:00:13

太市墓(箸墓古墳)

第7代孝霊天皇の皇女 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)

纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられている3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳。この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王、「卑弥呼」の墓とする説もある。

箸墓古墳 - Wikipedia



箸墓古墳全景 金魚

2013/10/10 15:06:32

箸墓古墳全景

大池に金魚の大群