2012/09/02 11:41:44
人出が多い 何かのまつり?
とにもかくにも いい時に出会った
2012/09/02 11:16:11
出店が並んでる なんとなく気持ちが弾む
2012/09/02 11:18:44
「彦八まつり」ののぼりが揚がってる
彦八って誰???
2012/09/02 11:21:21
2012/09/02 11:21:57
上方落語発祥の地 とある
彦八は上方落語の始祖であるらしい
2012/09/02 11:23:08
2012/09/02 11:24:13
鉦と太鼓 非常にスローテンポな動き 天神祭龍踊りとは別もの?
2012/09/02 12:00:59
天王寺七坂は北から
①真言坂 ②源聖寺坂 ③口縄坂 ④愛染坂 ⑤清水坂 ⑥天神坂 ⑦逢坂
2012/09/02 12:12:52
近松門左衛門『心中宵庚申』
夫八百屋半兵衛の妻お千代は姑にきらわれ義理と愛の板挟み 思い余って夫とお千代は享保7年生國魂神社大仏勧進所で心中する。
このお寺に お千代半兵衛の比翼塚がある
戒名(声応貞現信女/通月融心信士/離身童子)(当時お千代の腹にいた子の戒名も並ぶ)
2012/09/02 12:11:02
岡西惟中・妻(俳諧・和歌・連歌について多数の著書あり)
お千代半兵衛
松本寛吾・乾知(蘭方医)
金子徳崇儒学(儒学者)
六無管名
京巌熊見
吉田玉男(文楽の人形遣い)
2012/09/02 12:09:46
『精華町の郷土史』から=
『植田村豪農島田平左衛門の娘千代は10歳の時、行儀見習いのため大坂難波の蔵屋敷に出仕、芸州藩士の川崎氏の小間使いとなった。当主に気に入られた千代は18歳の時、同家の養子半兵衛の嫁となっている。事件の起きた経過は、千代の郷里より父が病気になったとの便りがあり、看病のため暇を得て実家に帰ってくると父は病気でなく、同村の富豪の金蔵なる人の息子の嫁にするための方策だった。
父は千代を手元に置こうと思い、半兵衛との縁を切り、金蔵家の嫁となるように勧めた。金蔵よりも執拗な懇請は脅迫となり、思い余った千代は半兵衛に手紙を送り、それには現在の経緯と共に、「父に従えば君を捨てることになり、進退窮まり、一死を持って君に報わんと思う」としたためられてあった。
半兵衛は驚いて植田村に駆けつけ、父に「三行半」を手渡したが、別室で悲鳴が聞こえ、その場に駆けつけて見ると千代は短刀を咽喉に突き刺し自害していた。半兵衛は千代の咽喉元から短刀を抜き取り、我が咽喉を引き裂いて自害したという。千代の父は2人を来迎寺に葬り、碑を建て弔ったと伝わる。』・・・心中宵庚申とはずいぶん話が違う。
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精華町植田の引接山来迎時にもお千代半兵衛のお墓がある。
戒名は銀山寺と同じであるが こちらはお千代の戒名が真ん中にある。
2012/09/02 12:10:10
2012/09/02 12:27:39
2012/09/02 12:29:39
2012/09/02 12:36:48
藤原家隆(鎌倉前期の歌人)=
権中納言光隆の子。宮内卿などを経て従二位。和歌を藤原俊成に学び後鳥羽院歌壇で活躍。
藤原定家と並び称され 新古今和歌集の撰者の一人となる。
この地に「夕陽庵(せきようあん)」を結び余生を送る。
契りあれば なにわの里に宿り来て 波の入日を 拝みつるかな
この歌から夕陽丘の地名が生まれたと伝わっている。
2012/09/02 12:37:45
勝鬘院本堂は愛染堂とも呼ばれている
多宝塔は国指定重要文化財、桃山時代 慶長二年(1597年)本瓦葺、高さ 22.44m
左側遠くに見えるは 日本一高層ビル「あべのハルカス」建築中300m
2012/09/02 12:40:45
2012/09/02 12:45:07
2012/09/02 12:47:37
今回の歩きで尋ねてみたかった「銀山寺」と もう一つがここ「清水寺」
地図を見ていたら 清水の文字が目に入った。
それで記憶がよみがえってきて・・・
昭和50年中ごろから毎日新聞に 『米朝はなし 上方落語地図』が連載で3年近く続いていた。
大阪にも清水寺がある その中で記憶に残っていたのがこのお寺。場所は忘れていた。
(落語「茶目八」に出てくるらしい。)
2012/09/02 12:49:02
小さいながらも舞台がある。
そして「音羽の滝」ではなく 「玉手の滝」がある。
2012/09/02 12:49:37
2012/09/02 12:50:46
2012/09/02 12:52:27
大阪市内唯一の天然の滝 「玉出の滝」
2012/09/02 13:11:31
2012/09/02 13:21:41
2012/09/02 13:19:49
2012/09/02 13:19:19
2012/09/02 13:15:55
安居神社-真田幸村終焉の地-
2012/09/02 13:26:10
遺骨は10年分をひとまとめにしてお骨佛(遺骨で造られる阿弥陀如来像)となります。
次期は平成29年4月。
2012/09/02 13:26:50
2012/09/02 13:49:03
2012/09/02 13:51:58
2012/09/02 15:02:02
わっか市(朝市)で賑っていた
2012/09/02 15:05:11
2012/09/02 15:08:55
聖徳太子は石大工技術の始祖として番匠(大工)から尊崇されている。
お堂には曲尺を持った聖徳太子が祭られている。
石柱の文字は・・・
太子は伽藍建立時に大工道具であらわした「南無阿弥陀仏」を刻み 工事の安全を祈願した。
2012/09/02 15:12:47
2012/09/02 15:13:24
2012/09/02 15:18:35
無料休憩所「和労堂」でコーヒー(200円)
「天王寺七坂」歩き
谷町9丁目(11:20)~七坂~一心寺~新世界~四天王寺~谷町9丁目(16:20)
11km 23000歩 7時間40分